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ジェンダー法・政策研究叢書第6巻
『家族─ジェンダーと自由と法』(水野紀子編)

はしがき

 本書『家族一ジェンダーと自由と法』は,21世紀COEプログラム「男女共同参画社会の法と政策」の成果をまとめたジェンダー法・政策研究叢書の第6巻として編纂されたものである。21世紀COEプログラムにおける家族クラスターの研究においては,ジェンダーという概念を狭くとらえることなく,家族を対象として広く問題の構造を追究してきた。もとより家族は,性別役割分業というジェンダーの中心的問題のひとつが具現化する場所であり,どれほどジェンダー概念を狭く捉えようとも,家族という問題は,ジェンダーに関する問題意識を抜きにしては扱えない。しかし家族は,同時にあまりに人間存在の根本にかかわる大問題であって,狭いジェンダー概念ではとりこぼしてしまう問題が大きいと危惧されたからである。そしてまた逆に,家族を考えることは,家庭において男女がともに人間らしく生き,子どもを心身ともに健康に育てる方策を模索することであって,すべて広義のジェンダー概念に含まれる問題である。
 かつて家族は主要な生産主体として現在より多くの機能を担っていたが,時代が下るにつれて,生産活動を行う家族は少数となり,家族の姿も変貌してきた。しかし,家族は,家族構成員がそれぞれ財や私的労働をもちよって生存を支え合い,新しい生命を育てる機能や病んだり老いたりする人間をみとる機能をもつ存在として,現在でもその重要性は変わらない。それどころか,共同体の養育機能が衰えた現代社会では,将来世代の養育,すなわち未来社会を形成する人々を送り出す存在として,家族の責任と重要性はむしろ増しているといえるだろう。
 近代国家は,国家・社会の基礎として家族を位置づけ,家族の法的統制に積極的であった。夫に家族の長としての地位を与え,親権を子に対する父親の権力とし,婚姻外の男女関係や非嫡出子に抑圧的な規定を設け,それらの規範の多くに公序として強制力を持たせた。しかし20世紀を通じて,家族法における女性の地位,すなわち妻や母の地位が向上するとともに,嫡出子と非嫡出子の平等化が進み,親権法においても子どもの保護のために親権が規制されるようになった。このような変化には,自由と平等を保障する憲法規範が寄与するところも大きかった。
 家族法における当事者の自由と自己決定の領域が次第に拡大し,公序が退潮しているといわれる。たしかに夫を家長とする公序規定は明らかに退潮して過去のものとなった。しかし家族法においては,公序あるいは正義が死滅し,当事者の完全な自由が成立することはあり得ない。弱者を保護すること,とりわけ最大の弱者である子の養育を考えると,自由には一定の限界が画されざるを得ないからである。離婚法や事実婚の領域では,自由が拡大して公序が退潮しても,たとえば親権行使の領域では,公的機関や裁判官の関与領域はむしろ拡大して,家庭への公的介入がより積極的に行われる傾向にある。
 自由と公序の限界は,絶えず変化し,揺らいでいる。新たな公序の模索は,各国で行われており,おおまかな傾向としては一致していても,国ごとの差異は残る。とりわけ日本法では,欧米諸国の家族法で公序の強く働く場所である離婚法において,協議離婚制度としていわば極端な自由領域が成立しているなど,特殊性をもっている。しかし社会の中で孤立化した家族がかかえる問題は,先進諸国の中では共通した様相を呈していることもたしかであり,問題の解決に当たって,国際的なまた比較法的な視野をもって考えなければならないだろう。そしてその解決策は,単純な視点では得られず,問題ごとに複雑な複眼的視点で具体的に考えられなくてはいけない。
 本書においては,以上のような観点から,原論的・総論的諸論文,国際的・比較法的諸論文,日本法のかかえる問題を歴史的に考察する諸論文,具体的諸問題の今後の解決を考える諸論文を収めた。それぞれを章ごとにまとめ,4章構成をとっている。第一部「総論 家族・ジェンダー・自由」は,家族とジェンダーと自由に関する理論的な論文をまとめた二つの章からなり,その第1章「家族とジェンダー」には,原論的・総論的な論文を収めた。辻村みよ子「家族・国家・ジェンダーをめぐる比較憲法的考察」は,当COEプログラム拠点リーダーの著した,ジェンダーの視点からの比較憲法史的考察を通じ,家族をめぐる広範な理論的課題を明らかにする論文である。またわが国のジェンダー学の水準を代表する論客の一人である著者による,近代家族と現代家族におけるジェンダーを概観するとともに,身体に関する自己決定として人工生殖という問題を論じる新たな視点を提唱する論文,江原由美子「自己決定とジェンダー─家族はどう変わっていくのか」を収めることができた。水野紀子「家族法とジェンダー」は,日本法においては,婚姻制度保護が不十分である一方,婚姻外男女関係に不法行為法を適用して過剰に保護する判例に現れる,日本家族法のジェンダー視点を分析する。佐々木くみ「親の教育をめぐる一考察一公教育と家庭教育の交錯を場面として」は,公私二分論の再構築の問題としてジェンダーの視点から公教育と家庭教育の関係性を論じる,若手の斬新な考察である。第2章「ヨーロッパにおける現代家族の展開」には,現代のヨーロッパ法の展開を検討する論文をまとめた。日本家族法は,親族法も相続法も主としてフランス法を継受している。明治民法以来,口本民法は戦後の改正を除けば,ほとんど変化を被らずに来たが,二〇世紀を通じて母法は大きく姿を変えている。ニコラ・マティ「社会生活の契約化─フランス法における家族という実例」はフランスの新進気鋭の民法学者による論文で,フランス家族法の変化を契約化という視点から概観する。同性婚は,ジェンターという視点からは欠かせない論点で婚姻制度の本質をつくテーマであり,渡邉泰彦「同性カップルの法的保護」が包括的に深く考察する。松川正毅「フランス法における同居義務と別居について」は,フランス家族法にもっとも造詣の深い家族法学者の手になる,夫婦の根本ともいえる同居義務について,フランス法学の思想をさぐる興味深い論文である。日本民法と並んで非嫡出子の相続分差別規定をもっていたフランス民法は,ヨーロッパ人権裁判所マズレク判決を受けて,相続法を改正した。この改正は差別規定を撤廃すると同時に,血族相続の優越というフランス法の伝統を崩し,配偶者相続権を強制的に拡充した改正であった。そこにみられる自由と平等の相克は,日本家族法の今後の改正を考えるためにも不可欠の資料であり,それを扱う幡野弘樹「フランス相続法改正と相続制度の性質変化─生存配偶者の相続権の増大から生じる変容を中心として」という優れた論文を収めることができた。
 本書の第二部「各論 家族と法による規制」は,第3章「日本における家族法の展開」と第4章「家族をめぐる法と規制」から構成される。前章でみたヨーロッパの展開と日本の状況は大きく異なっており,第3章は,日本の家族法を振り返る論文を集めた。明治民法が創設した「家」という制度は,家名である氏と不可欠に結びついており,実効的に家族を規制・保護する機能をほとんどもたなかった家族法にとって,氏は,たとえ象徴的であっても家族意識を形成する意味をもつ非常に大きなものであった。氏について,まさに第一人者である長老の貴重な論文,唄孝一「『氏ないし『氏論議』を論ずる」を得られたことは,本書にとって光栄なことである。また家族法の内容が自地規定となっている日本では,実務がその内容を実質的には決定してきた。戦後の離婚法の実務・理論をリードしてきた長老実務家による包括的な論文として,高野耕一「離婚・調停・人訴について一─実務家の覚書」も第3章に収めた。中川善之助家族法学説は,戦後家族法を代表して通説・判例となっている家族法理論である。中川理論への批判も最近は少なくないが,実務が中川学説を受容してきた背景には,日本社会にあるそれなりの必然性があったのかもしれない。梶村太市「中川家族法学の今日的意義─ジェンダーの視点も加えて」は,家族法実務理論を代表する著者による中川学説の再検討・分析であり,内容的には戦後家族法学の優れた概観ともなっている。第4章には,今後の家族問題の法規制について論じる論文をまとめた。現在の民法学界の頂点に立つ大家による,大村敦志「『家族法における契約化』をめぐる一考察─社会的に承認された契約類型としての婚姻」は,第2章にあるニコラ・マティ論文と呼応して,契約化という観点から,家族法立法の本質的な意味と今後の展望を分析する論文である。家族の法的規制においては,税法分野も重要になる。日本法ではまだ家族法の領域に税法を含んだ概念は成立していないが,ヨーロッパ法では,国家の家族規制の一つとして,税法領域は家族法の重要な一分野である。渋谷雅弘「夫婦と税制の現在」は,税法領域の判例分析から現在の日本における夫婦に対する税制の現状を概観し問題点を析出する論文である。国家法が新たな立法により規制を試みるとき,問題になるのは経過措置,すなわち時際法である。この問題は重要な問題であるにもかかわらず,ほとんど論じられてこなかった未開拓のテーマであり,小粥太郎「時際法・入門」は,フランス法の議論を紹介しつつこの問題に取り組む野心作である。最後に,家族問題を考える際の不可欠のテーマ,すなわち子の問題についての論文を収めた。先進諸国の家事裁判所が最も苦慮している家事紛争の課題は,両親間の子の奪いあいであるが,この問題について国際的な子の奪取について論じつつ,日本の問題点を鮮明に析出する西谷祐子「国境を越えた子の奪取をめぐる諸問題」である。
 全編を通じて,戦後の学界や実務をリードしてきた斯界の長老から,気鋭の若手研究者まで,それぞれの問題を論じるにふさわしい第一人者を執筆者に得られたと自負している。お忙しい中,研究会報告や執筆にご協力いただいた執筆者の皆様に,心より感謝申し上げる次第である。

水野 紀子